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2006年3月 5日 (日)

■ブログ移転のお知らせ

開設1ヶ月余り過ぎたところで突然ですが、ブログを移転しました。

新アドレスはこちらになります。↓↓

http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000

内容はこれまでどおりです。今後とも、ぜひご贔屓によろしく!

2006年3月 3日 (金)

■トリノ影響で川越のスケート場が盛況らしい!

 用事で早朝から出かける。年に数度の恒例行事なのだが、人が多くて埃っぽいところに睡眠不足が加わって、昼過ぎになると頭痛を起こすことが多かった。

 そこで、少しでも睡眠を確保するため、ラッシュで座れぬ東上線は避け、電車賃奮発で埼京線経由で都心へ向かうのである。なんと960円!20分前にホームへ行けば、まず座席は確保できる。今朝は宇都宮線で警報が作動したとかで、武蔵浦和あたりから徐行運転。赤羽に5分遅延。新宿には12分遅延し、ここで新宿湘南ラインを追い越させたため天王洲アイルには9時到着。遅刻はまぬがれたけど。

 幸いにも頭痛は勃発せずに、別の場所の用事も済ませて午後遅い東上線で帰途についた。

 この時間帯の急行はガラ空きだが、今日は幼稚園児の団体がわんさか乗車してきて、車内は蜂の巣突付いたような状態。ムシキングのワッペンを園児服にたくさんつけてる子がいた。川越到着寸前に、素足に雪駄の園児に気付いてびっくり。ちょいと粋だった。

2006年3月 2日 (木)

■銀座並木座

 今週、電車の中で読んだ本は「銀座並木座(嵩本友子/鳥影社/2006年)」

 平成10年に惜しまれつつ閉館した名画座「銀座並木座」へは、自分も何度か足を運んだことがある。記録を見ると、高校時代に「わるいやつら(1980年)」「張込み(1958年)」を観たのが最初らしい。ほんと小さい映画館で、本の中でも触れられている、客席にある太い柱はたしかに邪魔だった。

 大学のクラスメートに映画好きがいて、一緒に観たのが「青い山脈前篇(1049年)」「馬(1940年)」。このときは、上映開始まもなく尿意をもよおし、狭い館内の真ん中の座席だったので、起つに起てず我慢するのにせいいっぱいで、映画を見てるどころじゃなかったという、今となっては笑える記憶がある。

 並木座は選ばれた作品しか上映されない感があって、正直なところ「池袋文芸座」のほうが好きだった。巻末の上映全リストを見ると、同じ作品が1年の間に何度もかかっているし、監督特集などの企画でも、代表作しか上映されていない。成人映画や任侠ものは上映するのに、たとえばアイドルものなどは絶対やらない、そういうとこがなんかイヤラシイと思っていた。

 最後に並木座で観た映画は「今ひとたびの(1947年)」で1990年の秋。五所平之助監督で、主演は高峰三枝子と竜崎一郎。戦争に引き裂かれた恋人同士が、終戦後ふたたび結ばれるまでのラブストーリー。高峰三枝子の美しいこと!原作は高見順で、後に文庫で読んだ。

2006年3月 1日 (水)

■動物のお医者さん

 こうやってブログで、昔の川越のあそこはああだった!なんて書いていると、自分が70か80の年配になったような錯覚を起こす。そんな今日は三月の冷たい雨模様。

 10年近く前、「この漫画、おもしろいから読んでみて!」と、勤務先でアルバイトの女子大生から強引に薦められたのが「動物のお医者さん(佐々木倫子)」。札幌の大学の獣医学部の学生たちと様々な動物を主人公に、日常の騒動をコメディータッチで描いた内容。全9巻貸りて自宅で読んだら、夢中で一気読みしてしまった。それは獣医学部への綿密な取材の上で構成されている点もあるし、さりげない学生生活の描写に、こういうことあったなーと共感を覚えたせいでもある。自分は絵が気に入らないと漫画を読まない性質なんで、この漫画の人物画はうーんちょっと?なのだが、動物画が上手なので気にせずに読めた。この頃、街でシベリアン・ハスキーを連れた人をよく見かけたのは、この漫画に登場する「チョビ」がブームの火付け役だったとか。

 主人公の近所に家畜専門のすっとぼけた老獣医がいるのだが、以前に市内の獣医さんにお会いしたとき、雰囲気が似ていてちょっと笑いそうになった。「動物のお医者さん」は数年前にテレビドラマ化されて、さすがにこれは見ていないが、この老獣医の病院としてロケが行われたのが、川越市連雀町にある「佐々木医院」だったそうである。

2006年2月28日 (火)

■川越・道の記憶(4)

 久保町通り成田山本行院前に、この細い路地があります。抜けると、あっという間に中央公民館のところへ出られます。学校行事で市民会館へ行く際には、必ず通った路地でした。路地の中ほどに駄菓子屋さんがありました。ガラス戸を開けるとすぐ商品があるような店でした。集団で歩いていますから、立ち止まることが出来ずに、チラリと横目で見るだけで買わず仕舞いでした。行き帰りにはお不動様の境内を突っ切りましたが、そのときに池の亀をよく見ました。

 この路地は、その後も図書館通いの時などに通りぬけしましたが、現在は塞がれて通行できないようです。久保町通りは、古びた町屋が数軒並んでる個所があって風情がありましたが、ここ20年ほどで随分建替えが進みました。「かたきだんご」と呼ばれた団子屋が二軒並んだ前の街路樹に、ある晩自動車がぶつかったのを目撃したことがあります。自動車はヨタヨタした感じで逃げ去りました。遅い時間でもなく、大きな衝撃音だったにもかかわらず、近所の人々が誰も出てこなくて不思議に思ったことを記憶しています。

2006年2月26日 (日)

■内海の輪

「まちなか職人展」へ行こうとスケジュール調整をしたのだが、とうとう無理だった。あらかじめ織物市場の画像もアップしておいたのだが。ゲストの俳優三国連太郎を見たかった・・・

 三国連太郎の出演映画はあんまり見たことが無い。強く印象にあるのはテレビドラマ「赤い運命(1976年)」での殺人犯役。山口百恵主演「赤いシリーズ」の一本だが、戦時中満州で自分や仲間たちを酷い目に合わせた当時の指導者たちに復讐しようとする役柄だった。ドラマの本筋は養護施設の火事で、そこにいた二人の娘の身元を証明する証拠品が入れ替わってしまう。火事後に二人の親が現れるが、その証拠品を元にひとりは検事の元へ、もうひとりは殺人犯の元へ引き取られる。さて娘たちの運命いかに!?という大映ドラマ。今になってはとても陳腐で見れないが、当時は視聴率30%近かったとか。共演が宇津井健・池部良・有馬稲子・志村喬・岸田今日子・・・って、すごい豪華キャスト。

 三国連太郎はこのドラマを放映が半分終わった頃に初めて見て、次の撮影時に山口百恵に「ひたすら我慢してばかりじゃだめだ」と言ったそうである。すぐさま監督と打ち合わせて、ある場面で山口百恵を号泣させるように変更したというのを、当時の新聞記事で読んだのを覚えている。ちなみに翌年の映画「霧の旗」で山口と三国は再度共演している。兄の弁護を引き受けてくれなかった弁護士(三国)に、妹(山口)がホステスに転落してまでも復讐を遂げる物語だった。

 「旅の重さ(1972年)」の地方廻りの旅一座の座長役もよかった。若い頃では「妻(1951年)」の美大生役などを見たことがある。「内海の輪(1972年)」で二十歳年下の妻(岩下志麻)といびつな愛に耽る老亭主役もインパクトがあった。「三国連太郎」とい名はデビュー作「善魔(1951年)」の役名をそのまま芸名にしたものである。

 そんなわけで、勤務帰りの電車内で松本清張「内海の輪」を久しぶりに読んでみた。

2006年2月25日 (土)

■怒る霧島

 離陸が始まろうとしているのに、客室乗務員の再三の注意にも従わず携帯メールを打ち続けた男は、控え室まで乗務員を追って暴言を吐いたあげくツバを吐きかけたため、飛行機の離陸が1時間遅れたというニュースを見た。鹿児島空港でのこと。なんなんだろうこの男はと思う。でもこういうおかしなことを仕出かしそうなアブナイ奴がほんと電車の中にも街にもあふれている最近。

 自分が悪いことをしたわけではないが、鹿児島本線の特急を10分ほど遅らせたことを思い出した。

 その時は、西鹿児島駅から博多行きの特急つばさに乗る予定で、日豊線の某駅へ行くと電車が不通だった。既に指定券は押さえてあるし、今日中に東京へ戻らなければならなく慌てた。無謀にもタクシーをつかまえて事情を話すと、運転手は困った表情をした。朝のラッシュ時で渋滞しているから、特急発車に間に合う自信が無いと言うのだ。かまわないから走って!と言って鹿児島へ向かわせた。しばらく走ると、道路に平行する日豊線を電車が過ぎて行った。運行再開したらしい。最寄の駅へつけると、タクシーの運ちゃんはホッとしていた。なにしろ鹿児島市まで30キロ以上もあったのだから当たり前か。改札へ行くとまもなく西鹿児島行きが到着するという。駅員に西鹿児島から特急に乗り継ぐことを話すと、駅員は西鹿児島行きの乗務員に連絡してくれた。電車に乗ってしばらくすると乗務員がやってきて「お客様が乗り継ぐまで、西鹿児島駅で特急つばめの発車を見合わせますからご安心下さい」

 西鹿児島駅に着くと、地下道をダッシュで走り階段を駆け上がり、駅員に促されて特急つばめに飛び乗った。もう一人くらい乗り継いだ人がいたように思う。特急は10分遅れて博多を目指した。指定券を片手に座席を探すと、なんと先頭車両の一番前の展望バッチリの1等席!でもとうとう遅れた時間を取り戻せずに博多まで走った。熊本までは単線区間が多いし、制限速度目1杯で運転していたから無理だったのかもしれない。

 自分のせいではないけど、なんとなく後ろめたさがあった。てことで、画像は爆発する霧島山。明治末期~大正初期の情景。

2006年2月24日 (金)

■雪予報だが、多分降らない

 昨日のこと。雑誌「散歩の達人」の小特集が『JR川越線』と聞いたので、ルミネの書店で資料用に買う。川越駅と大宮駅を除いた沿線紹介。改札向かう間に3人から相次いでメールが着信。ひとりには電話をかけ、あとの二人にはホームで返信。電車の到着に携帯から顔上げたら、すごい混雑でそれも急行。準急に乗るつもりだったので、びっくりして電光案内板確認したら、上福岡駅での人身事故によりダイヤ混乱中だった。勤務に遅刻は禁物なんで急行に乗車。途中から怪しい風体の男二人が乗車してきて、つり革片手に缶ビールをぐいぐい呑んでいた。ポケットには予備缶が!それも500缶!最近車内で飲食する奴がほんと多い。数日前には隣の車両で殴り合いがあって一瞬パニック。

 帰りの電車内で「散歩の達人」を読む。特集は池上線沿線散歩。池上線沿いには以前馴染んだ時期があったので、けっこう楽しめた。東急蒲田駅ホーム屋根の鉄骨が、松竹蒲田撮影所のものだなんて知らなかった。ヒット曲「池上線」の作詞家へのインタビュー頁に、あの詞は実体験に基づくものでモデルの駅は池上駅だと初めて明かされていた。自分はなんとなく洗足池駅だと思っていた。この駅で夜更けに五反田行きを待ったことがよくあったかららしい。そういえばタイトル忘れたけど、目蒲線の歌があったはず。目蒲線の両親は東上線と赤羽線だと歌ってたはずだが、あれは誰の歌だったんだろうか?

 今日は曇り。夕方から小雨。ヤフーに別の画像サイト立ち上げ作業をずっと行う。画像の送信&貼り付けがかなり面倒なのだが、アルバム式になるのでガマンガマン。てか、PCにからきし弱い自分はレモンを絞るごとくギュツと知恵を駆使しまくったので、ヒジョーに疲れた。今夜は前後不覚に熟睡しそう。

■昭和51年当時の川越一番街

 観光地化が始まる以前の、川越市一番街通りを北から撮影した写真。山吉ビルは当時は「鈴人草」「月世界」の2店が入ったキャバレー。この向かいにもキャバレーがあった。歓楽街の形成を見なかった川越は、商店街の中にこの手の商売が散在する都市。

 山吉ビル手前に川越では珍しい三階建ての蔵造りが見える。この頃は居酒屋になっていた。元は山吉の袖蔵といわれており、併設の店舗はかつては山田屋号大辻友太郎商店で、和洋紙専門だが万年筆などの文房具も扱った。この蔵は解体されたが、市立博物館に保存されているはずである。

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